旭川家庭裁判所 昭和40年(家)576号 審判 1966年3月30日
申立人 川井幸子(仮名)
主文
申立人が、本籍旭川市○町○○丁目○○番地筆頭者林一男の戸籍に、下記のとおり就籍することを許可する。
父亡川井オノコシ、母亡行子の長女一男の妻幸子
昭和四年三月一〇日生
理由
本件申立の要旨は「申立人は、昭和四年三月一〇日父川井オノコシ、母行子の長女として樺太敷香郡敷香町字オタスにおいて出生して以来同地で成長し、昭和三〇年八月二三日林一男(以下一男という。)と婚姻した後、昭和四〇年八月三一日ソビエト社会主義共和国連邦(以下ソ連邦またはソ連という。)政府から日本に帰国の許可を受け、夫および四子とともに同年九月一五日横浜に上陸し、同月一七日旭川市の夫一男の父親の許に落着いたもので今後日本に定住の意志を有するものであるが、上記の事情で本籍を有しないので、就籍の許可を求める。」というのである。
申立人および申立外林一男に対する各審問の結果(各第一、二回)ならびに家庭裁判所調査官矢本強の調査報告書および申立人提出にかかるソ連邦政府発行の各申立人ら名義の居住証明書(パスポート)二通、婚姻証明書、の各記載によれば、申立人の出生の事情および生活歴について、申立の要旨どおりの事実のほか、申立人は、旧樺太土人に属するオロッコ族(オロチョン人)の女性であることおよびその夫である一男とともに昭和三一年八月頃ソ連邦の国籍を取得する旨の申請手続をなし、翌三二年その許可がなされたものであることが認められる。
そこで、申立人に就籍の前提要件である日本国籍が存在するか否かについて判断する。
しかるところ、オロッコ族(オロチョン人)を含む旧樺太土人は、今次大戦終結前においては、アイヌ人を除いて戸籍法の適用こそなかつたけれども、土人戸口届出規則(大正一〇年樺太庁令第三五号)が適用されて、すべて広義の日本人として取り扱われていたものである。しかるに今次大戦の結果、平和条約(昭和二七年条約第五号)第二条(C)項により、わが国は、旧領土であつた南樺太に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄したもので、その効果は、条約当事国でないソ連邦に対する関係においても同様であると解されるから、オロッコ族を含む旧樺太土人は、日本人たる地位を失つたのではないかとの疑いを生ずるけれども、上記審問の結果と当裁判所の調査によれば、ソ連邦政府においては、旧樺太土人を無国籍の日本人として取り扱つていることが窺われるうえ、上記条約の結果、従来わが国の主権に属していた旧樺太土人に対する対人主権をも放棄したものと積極的に解する根拠もない点から、旧樺太土人については、他に外国籍取得等の事情のない限り、広義の日本人としての地位を保有しているものであり、かつ現在においては日本民族たる日本人とひとしく戸籍法の適用を受くべきものと解するのが相当である。
ところが申立人は、上記認定のとおり、さきにソ連邦の国籍取得の手続をとつたというのであつて、これが、申立人の志望によるものであるならば、同時に上記の日本国籍を失つたことになる(国籍法第八条)から、次にこの点につき検討する。
上掲各資料によれば、申立人の夫一男は、樺太に出生成長し、今次大戦終結後も鉄道員として働くうち、昭和二二年刑を受け、ソ連邦政府の刑務所に収容されて受刑中、外出を許された機会に申立人と知り合い、昭和二六年一月頃事実上結婚し、同二七年出所後は、ポロナイスク市(旧敷香町)の申立人方に同棲居住して一男において大工等をしながら生活し、上記認定のとおり、昭和三〇年八月二三日ロシヤ共和国の法律に定める方式により婚姻の登録をなしたものであること、ソ連邦政府機関は、一男ら日本人に対して、かねてからソ連邦に帰化するよう勧誘していたところ、申立人ら夫婦は、一男の父祖の地が北海道にあり、かねて北海道に引揚げることを熱望していたため、全くこれに応ずる意思はなかつたのであるが、帰国の希望が叶わずにいるうち、当時ソ連国籍を有しない者は、無国籍者として取り扱われて居住区や職場を制限され、また一男は政府機関から度々呼出を受けては他の日本人の動静を尋ねられたり、ただ一人呼出されて政府機関らしい者から身分を明かさないまま情報収集につき協力を求められ、これを拒絶したりしたことがあつて、身の安全に不安を感じていたこと等から同地における生活の苦しさや帰国の見透しの暗さと相まつて種々思案を重ねていた折柄、ポロナイスク市街を夫婦で歩行中、かねて申立人ら夫婦にソ連国籍を取得するよう勧誘していた係官に呼び止められ、改めて勧誘を受けたため、ついにこれに応じ、夫婦でその申請手続をなすに至つたものであること、以上の事実を認めることができる。
この認定事実によれば、申立人ら夫婦がソ連国籍を取得するに至つたのは、ソ連邦の法律により当然これを取得したものでないことは勿論、ソ連邦政府当局の強制によりなされたものでもないのであつて、申立人夫婦において勧誘に応じなければ敢てソ連邦国籍を取得するに及ばなかつたとも考えられないことはないけれども、飜つて考えれば、帰国を熱望しながら永年に亘つて違せられずその見透しも暗くなり、出生の地とはいえ、外地となつた異境にあつて無国籍者として差別して取り扱われて不安な環境の下に生活を送つて来た申立人らが結局帰化の申請手続をとるに至つたその心理状態はこれを察するに足りるものがあるのであつて、(かような事情は、民族的日本人である一男についてのみならず、申立人としても出生以来日本人としての教育をうけて成長し、しかも上掲資料によれば、申立人は父母もすでに死亡して他に身内なく、かつ、当時身内でも国籍を異にするときは居住区を別にされるおそれがあつたことが認められるのであつて、妻として夫とともに引揚げを熱望してきたものであつてみれば、申立人についても同様に考えるべきである)申立人らにこれ以上ソ連国籍取得を回避することを期待することは困難であつたものというべく、申立人らにとくに第三者の強迫その他ソ連国籍取得について強制を加えられた事情がなかつたからといつて、直ちに申立人らの自由な意思で自己の志望によつてこれを取得したものと考えるのは酷であり、したがつて、かかる特殊な環境の下でなされた申立人の外国国籍の取得は、国籍法第八条の規定の予想するところでなく、同条にいわゆる「自己の志望によつて外国の国籍を取得したとき」に当だらないと解するのが相当である。
そうだとすると、申立人は、なお日本国籍をも保有していることとなり、しかも、現在においては申立人が日本に本籍を有しないことは上記認定により明らかであるが、筆頭者林一男の戸籍謄本によれば、一男の身分事項欄には、上掲婚姻証明書の提出により昭和四一年一月一三日旭川市長受附をもつて申立人である川井幸子と婚姻した旨記載されていることが明らかであるから、申立人をして夫一男の戸籍に就籍させるのが相当である。
よつて、本件申立を認容し、主文のとおり審判する。
(家事裁判官 吉井直昭)